山行名 GW合宿屋久島永田川源流域
山域名 二万五千分の一地形図永田岳、宮之浦岳
山行日 5月3日〜5月6日
メンバー 香川浩士(4) 渡辺剛志(3)

行動記録

5月3日 入山 快晴  
永田14:00           水呑沢出合17:10
餅田林道終点15:00       ビバ−クポイント17:30
下シラケン沢出合15:45     
永田まで藤尾−横山隊と同じバス。永田のコスモのおばちゃんがいろいろおまけしてくれた。林道で別れ、2人になる。噂の水平軌道はひどかった。見える人には見える「シャイニングロ−ド」である。忠実に沢を行くよりは確かに早い。しかし、面白くもなんともない上に腐った木で滑ったり落ちたりでさんざんだった。下シラケン沢付近で国道と化す。どうなってんだ。夜、肉じゃがの味付けで口論となるが10分で仲直り。単純野郎共は熱し易く冷め易い。

5月4日 晴れ時々曇り 
5:30起床            10:50上タカヨケ沢出合
6:40発             11:50障子谷出合
7:25上トリゴエ沢出合      12:30下前の山出合
8:15シラハマ沢出合       13:50イ谷出合
8:30尾の上沢出合        14:20二股
9:20正八郎出合         14:45引き返す
9:40下タカヨケ沢出合      15:10上の岩屋
朝イチで二人とも濡れる。巻きを意識的に左岸(水兵軌道側)に取りつつずんずん進む(途中から右岸)。スピ−ドは昨日より遅いが、楽しいので苦にならない。左から落ち込む無名ルンゼがすごかった。あれを登ったらすごいなと思いつつ気がつくと、二股っぽい所に出た。水量が明らかに二分されていて今から考えると恥ずかしいのだが、誤って右谷へ。こういう大事な所ではザックをおいて偵察するぐらいの余裕が欲しい。上の岩屋まで幸いにも踏み跡があって助かった。2つの岩屋が並んでいるというが発見できなかった。湿っぽい木を燃やして温まる。岩屋の奥に鎮座している黒い京大ヘルメットが不気味だった。

5月5日(日) 曇り
4:30 起床
6:10 上の岩屋発
6:25 ハ谷出合
8:20 ]T・]のコル
10:30 ]・\のコル
12:30 \峰
朝、起きぬけに天気をうかがうと、雨は降っていない。どうやら薄曇りのようだ。はやる気持ちを抑えつつ準備する。障子尾根の奇怪な岩峰のほうから薄日が差し始めるころハ谷に向けて出発する。モチベーションは二人とも満点だ。ところが、いきなり入る谷を間違え、ロ谷に入ってしまう。事前の資料の読み込みが甘かったため、ネマチのクボに入ってから最初の谷がハ谷だとインプットしており、確信をもって入ったのだが・・・。気付いたのがすでに50メートルくらい高度を上げた時だったので、気分的にもう一回降りて上り返す気にもならず、「いや、まだこれがロ谷だときまったわけじゃない。」と、自分に言い聞かせつつ、また剛士にも同意を求めつつ登る。が、]T峰の顕著な大ピナクルが眼前にせまったとき、間違いを悟った。チキショー。「ま、ええやろ。」(なお、ロ谷に関しては、雨天時以外は何の問題もない初級の沢である。)
 気を取り直して障子尾根の縦走に向かう。いきなり核心と言われる]峰の登りだ。最初は直上し、やがてつるつるの岩にぶち当たると、永田側に少し回りこんで直上。この途中、ほぼ垂直の凹状の岩(頼りないブッシュ付き)をフリーで登っている時、剛士が落ちかけるが、シュリンゲを垂らして事なきを得る。]峰の下降は、ピークから少し宮之浦側に下ったところにある背が低くて幹の太い松を支点にして、50メートル懸垂。降り立ってから50メートル弱ブッシュを降れば\・]のコルに着く。
 \峰の登りのヤブはX級レベル、ヘドが出る。(ピークから出ている谷状をつめ、最後は少し宮之浦側に出た。)[,Z、Y、X峰のピークは、\峰までと比べると簡単に立てる。しかし、ガスで各ピークの姿が見えないと相当怖いやろうなあ。(尚、[〜X峰間は、Z峰以外はすべて宮之浦側を巻いてピークに立った。Z峰は永田側。)
 X峰で休んでいると、宮之浦岳とネマチが非常に美しく見える。降っても小雨程度なのが有難い。ネマチは50m下ぐらいから巻く。この辺からヤクザサとシャクナゲがすごくなってくる。ネマチ直下の通過は意外と時間がかかる。鹿道を外すとX+級のヤブコギである。やがて念願の永田本峰へ。ガスの中記念撮影。永田岳を登り始めると、雨が強く降り出した。屋久島の神様、3日も天気をもたせていただき、大変有難うございました。鹿ノ沢には人、一人がいた。

5月6日 下山 小雨 
4:00起床         10:10永田
5:40発          11:20バス
9:30林道  
おやじさんのネズミの被害はどうだったのだろう。大丈夫ですといっていたが。気にしつつ小走りに永田歩道を下山した。

反省
* 事前の研究が甘かった。人跡未踏の地を目指すような山行は、分かっている部分については徹底的に調べていかなくてはならない。
* 少し荷が重かった。食糧等もっと軽量化できた。

* 合宿前のトレーニングは量的には不十分だったが、密度の高いものをできた。(人工でのボルト連打、不安定な場所からの懸垂下降等。)
* 上の岩屋から口谷経由で障子尾根をI峰〜本峰、これを一日でこなし、鹿ノ沢に18:30につけたのは自信になった。2日目のミッドン〜上の岩屋も14:30頃に二股に着いており、このスピードはかなり早いと思う。冬・春でラッセル中心の長い尾根ばかり行っている成果かなとも思う。



雑感
教育学部 4年 香川浩士
 今回は剛士と二人で、永田川源流域のハ谷の初登を狙ったが、果たせなかった。しかし、別にうなだれてはいない。今は「次は絶対行ってやる。」と思っている。春山合宿もそうだったが、登山はいつも「内容」が大事だ。例えば、すごいピークを獲ったとしても、準備やトレーニングが適当で、山行中もゴタゴタしての登頂なら、そのタイトルとは別に、登山者の心に充実感はないだろう。最近一つの山行(合宿)については、登山中にどうこうというより、その登山を開始する前の準備期間の方が大事なのではないかという気がしている。しっかりとした準備、研究、トレーニング、合宿参加者のコミュニケーションが成されている山行は成功率は上がり、逆に事故率は低くなると思う。
 今回、合宿直前に計画を巡って剛士と衝突した。今冷静になって振り返ってみると、その原因は明確に指摘できる。このようなことは先の春山のキレット隊の二名の間にも起こったことだと思う。両隊における共通点は、一つには山行のレベルが高いこと。そして、パーティーの二人の間のモチベーション、実力の差が大きいこと。あと、計画の困難度が高い割に、準備期間(立ち上げ段階から出発まで)が短いこと、等だろう。これらの要素が絡まり合えばどうなるか、各自で想像できると思う。
「じゃあどうするか」
俺はこう思う。より困難を求めて山行のレベルが上がっていくことは文句なく素晴らしいことだと思う。(もちろんそこには実力もあるという裏付けは必要)。問題はひとえに、準備期間の短さだ。もし、仮に上の2パーティーの準備期間が長かったとしよう、モチベーションを実力の差に関して、計画を発案した者に関しては問題ない。問題はそれ以外の参加者で、多くの場合、その計画に反対する理由は「不安」だと思う。「この山域を俺は完遂できるのか。」「この計画を俺はこなしきれるのか。」しかし、これは取り除ける。時間をかければ。困難な計画を立ち上げる者は熟考して発案している。まず、己の実力があり、さまざまな文献を読み、計画を仮に立案して、米澤先生に相談してみる。そこでOKをもらったら、次に誰と行くかである。そこでは、他の部員の実力をできるだけ客観的に見て、声をかける。「こいつなら大丈夫だろう」と。何も不帰東面や障子の岩壁に行こうという無茶はやっていないのだ。
 準備期間が長ければ、十分に資料を調べられる。また、高隈や本城、金峰や霧島果ては大学会館や大谷フェースで実践練習を積みあげることにより、技術はかなり上げることはできる。もちろん、合宿参加者は全員でやらなければ意味はない。この一連の過程で、モチベーション及び実力(特に技術面)の差はかなりなくなってくると思う。
 今後もハイレベルの山行を立ち上げようとする部員は、必ず準備期間を長く取ってもらいたい。そうすれば、その山行はかなりの確率で素晴らしいものになると思う。ピークを獲れるか否かに関わらず。
 最後に剛士。有難う。今回もいろいろあったけど、永田岳本峰にもう少しで着くというあの岩やヤブに苦しめられてボロボロの時「剛士がいるからこの山行ができたな」と思ったよ。そしていつもながら、米澤先生、部員の皆、OB代表になっていただいた中野さん、残留部員代表の真人、どうもありがとうございました。

教育学部 3年 渡辺剛士
直前になってバタバタしたことを、まずお詫びしたい。計画段階で私がもっと煎じ詰めて考えなければならなかった。プレ山行の虫さされ(右まぶたを刺され、右目が開かなくなった)は別にして(あれも、もっと早い段階でプレ行っていれば問題なかったのだ)。結果的に目標は果たせなかったが、北尾根は満足行くものであった。ただ、自信のなさとスピ−ド重視から、香川さんにトップを任せる事が多く
反省すべき所である。ネマチ周辺の藪はすごかった。ラッセルみたいだった。


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