山行名 夏山二次合宿 北方稜線
山域名 2001年8月19日〜8月26日
山行日 北アルプス剣岳 北方稜線
メンバー L、渡辺剛士(3) 香川浩士(4)
協力:富大ワンゲル部の皆様

行動記録

8月19日(日) 晴れ

5:30起床−7:00出発−9:00剣岳着−9:30剣岳発−12:20 早月小屋−16:00 馬場島

 朝、ひざの状態の悪い真人が、下山することになる。剛士と二人で馬場島を目指す。軽量化よりも食欲と睡眠欲を満たすことに重点をおいたので、なかなかのフルボッカとなる。タテバイは、やはり緊張させられる。早月の上部は鎖が多く、冬、これらがほぼ使えなくなるとすると、かなりの困難さが予想できる。早月小屋は新しくなっており、立派だったが、閑古鳥が鳴いていた。小屋から馬場島までは3時間で降りる。馬場島では暑さと蟻と蚊に苦しめられた。    
 名言@ (早月尾根の休憩時、目の前の密ヤブを指して)「赤谷尾根のヤブが、こんなんやったらどうする?」 「ワッハッハッハッハッハッ、オレ帰る、オレ帰る、ワッハッハッハッハッハ」   


8月20〜23日(月)〜(木)

<沈殿>


 台風をやり過ごすため、沈を重ねる。馬場島で、富大ワンゲルの主将である藤岡君に拾ってもらい、富山まで出て部室に泊まらせてもらう。称名滝見学など、いろいろ連れて行ってもらって、どうもありがとう。下界であらゆる欲望を満たし、英気を養う。     名言A「ちょっと、仕事してくる」


8月24日(金) 晴れ


5:00起床−6:30出発−13:00赤谷山−16:30白萩山と赤ハゲのコル

 
昨日のうちに、藤岡君に馬場島まで送ってもらい、今朝は家族の森センターの屋根の下から出発する。日程的にも重量的にも、赤谷尾根のヤブコギは無理なので、ブナクラ谷にルートをとる。途中、水を10リットルウォーターバックに入れると、笑いがでるほど重くなる。今、2人で5人用テント、3人分の食料、水14リットルを担いでいるのだ。軽量化よりも、腹が満たされ、夜ぐっすり眠ることができることを優先する。そして、重くなった分は、ボッカ力と気合でカバーする。これが、『鹿児島的登り方』である。(いや、オレと剛士だけかも・・・) 

 ブナクラ谷は登りやすく、順調に高度を上げる。ブナクラ 乗越には地蔵があり、そこから赤谷山へつづく稜線は、3年前と変わらず甘美なものであった。巨大で急な赤谷山を、ラッシュで登る。すると、突然平坦な赤谷山の頂上に出た。ここにも地蔵と、3年前、その水で飯を炊いた小さな池があった。ここから先の北方稜線は踏みあと程度になる。赤谷山からは、左前方の枯れ沢状を下っていく。コルからは、小ピークをはさんで白萩山への登りだ。白萩山は、平坦な尾根がそのままピークになった感じで、山名を記す札さえない。そして、白萩山からの下りは、ガス時のルートファインディングに要注意。俺たちは尾根をはずし、30分ほど迷った。進路の決定にあたっては、カンより、地図とコンパスを頼りにすべし。やがて、枯れ沢状(ここは、不思議の国のトンネルのようになっている。行ってみればわかるはずだ。)を下り、赤ハゲとの広いコルにて天張る。熊の気配と、蚊の大群。なぜか剛士ばかりに群がる。  
 名言B「お、おもすぎる、ワッハッハ、マジでこれでいくんか?ワッハッハッハッハ・・・・・マッジッデッ?・・ッハッハッッハッハッハッハッ・・・・(シーン)・・・・・・。」 


8月25日(土) 曇り

3:30−起床5:30出発−9:00大窓−14:20池ノ平山−16:30 小窓

 朝、テントを出ると同時に、蚊の襲撃に遭う。赤ハゲへは、出だしが急登、古い残置フィックスがある。でかいハイ松で右にカクッとおれるのがポイント。赤ハゲ〜白ハゲ間は吊尾根状で、その間にP1〜P3までの小ピークが並ぶ。一見悪いが、右から巻ける。特徴的な岩峰群である。白ハゲは草原の山。幕営スペースはあるが、ふきっさらしとなるため、適地ではない。大窓への下降は尾根の右側のガリーを行く。大窓には地蔵とレリーフがあった。ここで大休止。目の前に大窓の頭が、圧倒的な量感を持って聳えている。こののぼりは、最初は急だが、登るにつれて少しゆるくなってくる。1ピッチで片付ける。2500メートルピークから大窓の頭間には、一目でそれとわかる岩峰がある。夏は左から巻くが、冬に東京岳人倶楽部がこれを直登したと書いてあったが、ちょっと信じられなかった。

 そしてこの巻きに、北方稜線にいかにも似つかわしくない『矢内ぺツルボルト』がきらきらと輝いていた。(実は、このボルトにシュリンゲを引っ掛けて登ると、ザイルを出さずにすむ)池ノ平山へののぼりは、左のルンゼを行こうとしたが、極悪。残置フィックス目指して池ノ平山のすぐ左肩に出るのがよい。ここから小窓へはすぐだと思ったが、かなり時間がかかる。非常に急な小窓への下りは、フィックスロープをたどって降りると、そこは、初めての小窓であった。夕方、剛士の意見で、水を取りに小窓雪渓を10分ほど下っていくと、右側に水がしみ出ていた。懸念された水がここで大量に得られ、晩飯を腹いっぱい食った。小窓は、どこまでも静かで、「オレはこの場所が好きだ」と思った。  
 名言C「オレタチ、1時間半歩いて30分休んでる・・・・・・・・・・・・・・・・・・バカですね。」


8月26日(日) 晴れのち曇り

3:30起床−5:30出発7:30三の窓−9:40剣岳−13:15剣沢着


 今日は下山の日。いい天気だ。朝日の中、三の窓へ向かう。浅いルンゼ状を行くが、冬は、小窓の頭への尾根をたどったほうがよいだろう。小窓の王南壁の横までくると、久しぶり  にチンネが見えた。南壁下のトラバースに入る。ここはトラバースというより、トラバース気味の下降といったほうがいいであろう。思っていたよりかなり急で、昔のフィックスロープがダラーンとたれていた。三の窓で、しばしくつろぐ。腰をかけようとした石の下に、つぶれたクソを見つけてブルーになる。「クソはキジ場でしろコノヤロー。 」やがて、剣本峰へ。たどってきた北方稜線が見える。本当にうれしい。最高の気分だ。荷も軽く、道路に見える別山尾根を抜け目なく下り、剣沢へ。そこでオレと剛士は、分かれたのであった。〈香川は三次合宿のため、剣沢残留、サビチー、いや、マジで。〉名言D「ゴウシ、今日ぐらい泊まっていけや。んッ?」  (文責:香川)
雑感

教育学部四年 香川浩士

 「剣岳・北方稜線」この山域は、僕にとっていちばん大好きなところだ。その魅力をここにすべて書き表すのはかなり難しい。ここでは、僕の、この山域に対する思いをつれづれに書きたいと思う。

 僕は、この山域に足を踏み入れるのは、1年の夏、3年の夏、そして4年の夏と、計3回であるが、そのなかでも、1年のとき、当時主将の矢内さんといった初めての北方稜線は強烈だった。ここまで人気(ひとけ)のない山は初めてだったし、集中豪雨を前に、「本気で死ぬんじゃないか」と思ったり、ずぶぬれのビバークで、ろくに眠れない夜を過ごしたりした。現在までに、数十の合宿を重ねてきた。それぞれに思い出があるが、あの1年の夏の北方稜線を超える山行は、この先に経験することがあるだろうか・・・・。

 剣岳・北方稜線とは、正確には、宇名月から剣岳本峰までの、長大な稜線をいう。僕の行っているのは、ブナクラ乗越から剣本峰までのいわゆる核心の部分であるが、この部分を完全にトレースできたのは、実は今年が初めてであった。三年間想い続けた山域は、終わってみると、爽やかな充実感とともに、意外にあっけなかったな、という思いももたらした。

 夏の北方稜線、満足した。ここ2,3年の間持ち続けてきた目標、憧憬の思いといったものが、この夏、果たされた。最後の夢は、「積雪期剣岳北方稜線縦走」である。これを書いていて、「ほんとにこんなことやんのか?」と、チョット思ってしまったが、これにチャレンジしなかったら、俺の人生は前に進めない、というところまできてしまっている。

 偵察をしてみての感想、「積雪期でも不可能ではない。」

 
求められるのは、強靭な体力と精神力(もちろん技術も必要である)。『その時』に備えて、これからトレーニングの日々に入ろう。

最後に、
     Thank you very much for our nice mountaineering ,Goushi! 


教育学部 社会科専修三年 渡辺剛士

 マサトが不参加となり二人きりの山行。ボッカは重くザックはデカイ。早月尾根の下降は地獄だった。植物の垂直分布が良く分かった。馬場島から富大ワンゲルの藤岡さんに乗せてもらえたのは幸運だった。もしも藤岡さんが乗せてくれなかったらこの合宿はポシャっていた可能性が極めて高い。参加部員の横に「協力者:藤岡」と書くべきだ。ほんとうにありがとうございました。富山では食ったり寝たりおよそ人間の考えうる怠惰をむさぼり尽くし、「こんなんでいいんか?」と自問してしまうぐらいだらけた。よく再入山したものだ。僕たち2人の実力からすれば多少ボッカが重くともなんとかなるだろうと思っていた。むしろ入山が核心だった。山に入ってしまえばこっちのもの。体力、技術的にはそれほど問題なかった。ただ、ハイマツの中のわずかな踏み跡をたどるには一流のRF力が必要で、5月の永田川同様香川さんに頼ってしまった。

 
山行全体の感想としては大窓までヤブ(=ラッセル)そこから先は岩(岩稜、雪稜)。ヤブで踏み跡をはずすと地獄を見る。その他は急登で喘ぐ程度。一次合宿の三の窓ビバ―クで「ツェルトオンリ−ではきついな」と思い、短期速攻型の山行なのにテントを持っていったが(食糧も異常に多かった)、きつい思いをして担いだテントは大活躍だった。もしもツェルトだったらあのコムシどもに血液を吸い尽くされていたのではなかろうか。それにしてもあのコムシども妙に僕ばかり狙ってきたが、やっぱり僕のほうがカッコイイからだろうな・・・。

 偵察、ということで雪がついた状態を意識して歩いたが、大窓までは僕たちの普段やっている登山の延長という感じがした。そしてそこから先は僕たちの今までやってきた登山とは次元が違う気がする。行こうと思ったら、「普段」の方を変えないと駄目だ。この辺はこれからの真剣な議論に任せるとしよう。

 
CLとして反省すべきことは、一度も天気図をとれなかったということ。というより、確信犯的に4時過ぎまで歩いてサボった気がする。「どうせ行くしかねえ」「下界の予報で十分じゃ」と、日程同様ノリで行った。CLとしては反省すべきところだが、僕個人としてはその風まかせ的気楽さは何者にも代え難い喜びだ。もちろん「荒れても大丈夫」という自信に裏打ちされてのことだが。ともあれ最後までノリで行動した。「もうここらで一本とっときますか?」「面倒だから登ってしまおう」ピッチもなにもあったものではない。山域自体も楽しかったが、香川さんとのノリノリ山行が一番楽しかった。


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